work_satisfaction_future
労働と満足度の未来
経済的対価を生む事業の効率は、時間あたりにどの程度の便益を提供できるかに集約できる。
情報やソフトウェアにまつわるものは、コストを低減しながら圧倒的にスケールできる。
そして、今後のスケールには認知や判断といった、人の知的労働とされてきたものが含まれ、人々の間に存在した知的労働の質の差は、ごく一部のケース以外は、そのうち問題ですらなくなる。人の腕力の差が、製造ロボットの効率の前に、問題でなくなったのと同じように。
労働の多くが、ごく少数の早く、圧倒的にスケールしたシステムによって自動化され、パーソナライズされていき、人が行う”労働”がより限定的なものになると、それは単純に今以上につまらないものになるだろう。
現段階においても、スケールしている仕事は、何かしらのシステムや仕組みを通じて価値を提供しており、関わる個々の貢献確認性という意味では、その貢献度を確認し難い。ともすれば、儲かる仕事はつまらない、という状況がある。さらに自動化が進むと、人力が意味のあるレベルで貢献できる部分が減っていく。
労働での満足感は、何かの役に立っているという実感をもとにし、多くの場合、目に見えること、人の喜びが伝わってくること、共感があること、が構成条件になっているように思う。
昨今の、ビデオ会議ベースの仕事は、仕事の効率をあげこそすれど、その達成感を高めることは無いことを明確にした。
今後の世界においても、人は仕事を通じて満足感を得ることができるのだろうか?それとも、それは過去のことになるのだろうか。